次話から、いよいよ最終章に入ります。
同じ日の夜――1LDKのタワーマンションの一室で各務蓮は自宅に持ち帰って来た仕事をしていた。その時。ピンポーンピンポーンピンポーン立て続けに乱暴に部屋のインターホンが鳴らされた。「え……? 誰だろう? 随分乱暴な鳴らし方だな……」蓮は椅子から立ち上がり、壁に備え付けてあるモニターを見た。「え? まどか?」そこに立っていたのは今年20歳になったばかりの蓮の妹、まどかだった。「まどか、どうしたんだい? 突然訪ねて来るなんて」インターホンに応じると、まどかはイライラした様子で言った。『いいから早く入り口を開けてよ!』「わ。分かったよ。ちょっと待って」蓮はすぐにドアを開けると、画面からまどかの姿が消えた。(どうしたんだろう? あんなにイライラして……)首をひねりながらも蓮は玄関で妹がやって来るのを待っていた。数分後……。――ピンポーン再びインターホンが鳴らされたので蓮は玄関を開けた。「まどか、一体何が……」しかし、蓮の言葉に耳を貸さずにまどかは玄関から乱暴に上がり込むと、ソファにドサリと座った。女子大生のまどかは相変わらず派手な服を着ている。胸元が大きく空いたフレンチスリーブのブラウスに、太ももまでの丈のフリルパンツを履いている。その姿を見て蓮は溜息をついた。「前から言っているだろう? そんな派手な服を着て大学へ行くのはやめろって……」まどかは大きな瞳に色白で、朱莉に良く似た美しい顔立ちをしている。するとまどかは目をキラキラさせた。「どう? ドキドキする?」「別にしないよ。まどかは僕の妹なんだから……。全くまどかは全然母さんに性格が似ていないな」「何よ、お兄ちゃんはお母さんみたいに物静かな女性が好みなの?」ジロリと恨めしそうに蓮を睨み付けてくる。「まどか、父さんや母さんには話しているのかい? このマンションへ来たってこと」「もちろんよ! だからここへ来たんでしょう!?」「え? 一体それってどういう意味なんだい?」蓮はまどかの向かい側のソファに座った。「お兄ちゃん! あの『ラージウェアハウス』の社長令嬢とお見合いするって本当!?」「そうだよ。父さんと母さんから聞いたの?」「そうよ! 学校から帰ってきたらいきなりお父さんとお母さんが言ってきたのよ。それですぐにお兄ちゃんのマンションへ来たのよ!」ま
「おーい、栞ー!」金曜日の仕事帰り、二階堂栞は同じ営業部員の九条簾と会社前のエントランスで待ち合わせをしていた。「簾、遅かったじゃないの? 何していたの?」栞は待ち合わせの時間よりも20分も遅刻してきた簾を恨めしそうに見た。「わ、悪い……先輩に厄介な仕事押し付けられてその処理に時間がかかちゃったんだよ……」「ふ~ん。仕事なら仕方ないか……。それじゃ行きましょ」そして栞と簾は2人連れ立って居酒屋へと向かった―― ****「栞、お前、何飲むんだ?」いつもの2人が行きつけの無国籍料理居酒屋のお座敷席に座ると簾が注文用タブレットを栞に渡した。「う~ん……そうだな……。今夜はとことん飲みたい気分だから普段飲んだことのないお酒にしようかな。よし、それじゃハイボールにしよっと「へえ~珍しいな。いつもビールかチューハイなのに。一体どうしたんだよ?」簾は自分の分の生ビールジョッキと、2人で来るときに頼む定番メニューを次々と注文した。「お酒飲み始めたら話すよ。……シラフじゃ話しにくいからね……」栞は窓の外を眺めながらポツリと言った。「ふ~ん。まあ、どっちみち話してくれるんなら俺は別に構わないけどな」****「お待たせいたしました」若い男性店員が栞の前にはハイボール、簾の前にはビールを置いた。他にお通しを乗せると「ごゆっくりどうぞ」と言って去って行く。「それじゃ、乾杯しようぜ」簾がジョッキのビールを持った。「うん、そうだね」栞もハイ・ボールを手にすると「乾杯」と2人はグラスを打ち付けた。「ングッングッ」いきなり栞はグラスを手に取ると、ハイボールをまるで水の様に飲み始める。「お、おい! 栞! 何一気飲みしてんだよ!」「ふう~…」栞は半分以上飲みほすとグラスをドンと置いて溜息をついた。「実はさ……私、お父さんの命令で来週の土曜日、お見合いすることになっちゃったんだよね」「は……?」簾はあまりにも突然のことに固まった。「全く本当にお父さんは強引だよ……。やっと仕事が面白くなってきたところだっていうのに」栞はもう酔ったのか、白い肌を赤く染め、目をトロンとさせながらため息をつく。「う……」その姿を見て動悸が激しくな簾。二階堂栞――栞ははっきり言ってしまえばかなりの美女である。大学時代は美人コンテストで優勝したこともあ
「九条……お前……」二階堂は深い溜息をついた。「わ、分かってますよ! 社長の言いたいことくらい!」「重症だな……お前、そこまで恋の病に憑りつかれていたのか? 30過ぎてそんなにピュアだったのか?」「ピュ、ピュアって……何恥ずかしいこと言ってるんですか! お、俺は……ただ自分の子供でも無いのに、愛情込めて子育てしている姿が……」琢磨は顔を赤らめて抗議した。「朱莉さんと被ったんだろう?」「う……!」自分の心を言い当てられて、琢磨は何も言えなくなってしまった。「い、いいですよ……笑いたければ笑って下さい。それでも俺は約束したんですから。力になるって」フイと視線をそらせて、琢磨は再び物件探しを始めていると二階堂は言った。「ここの不動産サイトはやめておけ。俺の友人が不動産物件を持っているんだ。学生時代、俺はさんざんあいつの面倒を見てやったからな。安く借り上げられるように便宜を図ってやるよ。それで場所はどのあたりが希望なんだ?」「え……先輩……?」琢磨は思わず二階堂の事を「社長」ではなく、「先輩」と呼んでいた―― ****その日の19時―「本当にこのマンションを借りたのですか?」舞はレンを連れて、琢磨と共に新居として住むマンションの前に立っていた。「ええ、ここなら幼稚園も近いしセキュリティもばっちりです。オートロック式だから不審人物も入って来れません」「うわ~! 舞ちゃん! すごく素敵な建物だね? 早く中へ入ろうよ!」レンが舞の腕を引っ張る。「レ、レンちゃん……だけど……」すると琢磨はレンをひょいと担ぎ上げ、肩に乗せた。「うわ~! 高い高い!」レンは大喜びしている。「ハハハ……どうだい? 眺めがいいだろう? よし、それじゃ一緒に中へ入ろう」琢磨はレンを肩車したままマンションの中へと入って行った――**** 12畳のリビングダイニングルームに6畳間と4畳半の洋室、全て収納庫付きの部屋は今まで古い賃貸アパートに暮らしていた舞にはまるで夢のような部屋だった。トイレからバスルーム迄もがまるでモデルルームのような作りに舞は声を震わせて訴えた。「だ、駄目ですよ! 九条さん! こ、こんな立派なマンション……私とてもじゃないですけど払っていけません! だ、だって正社員でも契約社員でもないただのフリーターに過ぎないんですよ……?」最後
「ほらほら白状しろ~お前、ついに朱莉さんを吹っ切れて好きな女が出来たんだろう?」二階堂はわざわざ弁当を持って琢磨のデスクに移動すると、オフィスに置いてある椅子を持ってきてドカリと座った。「な、何なんですかっ! 俺は今忙しいって言ってるでしょう!?」琢磨は二階堂から距離を取った。「まあ、そう言うなって……で、どんな物件を探してるんだ?」「あーっ! ちょ、ちょっと! 勝手に見ないで下さいよっ!」琢磨の制止も聞かず、二階堂は琢磨の見ているPC画面をのぞき込んだ。「ふ~ん……どれどれ……うん? 何だ? 部屋の間取り……随分多い部屋を見ているんだな?1 人暮らしならこんなに2つも3つもいらないだろ?あ、それとも一緒に住むつもりか?」「何言ってるんですか。俺はあのタワマンは出ないと言っているでしょう?」琢磨はもう観念して答えた。「フム……そうだな。それにあのタワマンなら後1人位増えたって、一緒に暮らす分はどうって事は無いし……あ! もしかしてお前……!」「な、何ですか!?」「ひょっとして子持ちの女にでも引っかかったか!? ほら! 以前俺と静香の結婚式でお前がお持ち帰りされてしまったあの夜みたいに……」「もういい加減にして下さい! あの話は思い出したくも無いです! とにかく……そんなんじゃないですからっ!」琢磨は危うく子供が出来たと言われて騙されそうになった過去を思い出し、身震いした。「そんなんじゃないって……それじゃ一体何だよ?」二階堂は不思議そうな顔をして琢磨を見た。「さっき掃除に来ていた女性……彼女の為にマンションを借りてあげようと思ったんですよ」「は? お前……何言ってるんだ? 今日あったばかりの女性に。それにあの子はどう見ても女子大生くらいにしか見えなかったぞ?」「女子大生じゃありません。彼女は去年大学を卒業していますよ」「ふ~ん……それじゃ最低でも23歳にはなってるってことか……あ、いやいや! その彼女の為に借りるって言うのか? ひょっとして我がまま女だったのか? 部屋が沢山無いと嫌だとか注文を付けて来たのか?」「そうじゃないですよ! 少し落ち着いて下さい。実は今4歳の子供がいるんですよ」「はあ!? 何だ、それは! それじゃ女子大生の時に子供を産んだのか!? 未婚の母なのか!?」「違いますよ。その子は亡くなったお姉さんの
「おい、琢磨。お前仮にも社長だろう? 一体今まで何処に行っていたんだよ?」琢磨がオフィスに到着し、廊下を歩いていると早速気配を察したのか二階堂が社長室から出て来て大股で近付いてきた。「……申し訳ございませんでした」琢磨は頭を下げると椅子に座った。「俺は別に謝れと言ってるわけじゃないんだ。今迄何処で何をしていたのかを聞いているんだろう?」琢磨は自分のオフィスルームへ入ると、二階堂も後をついて来る。琢磨はデスクに座り、PCの電源を入れながら答えた。「幼稚園に行ってました」「は?」あまりにも予想外の返答に二階堂は固まってしまった。「ちょっと待て……俺の聞き間違いじゃ無ければお前は今、幼稚園へ行ってきたと答えたのか?」「ええ、そうですよ」そして琢磨は顔を上げた。「社長。申し訳ありませんが、これから仕事に集中させて下さい。これから17時までに仕事を終わらせて17時半には会社を出たいんです」「え? お、お前……一体何言ってるんだ? 今日は19時から会議が……」「それなら自宅からリモートで参加しますよ。いいですね」「よほど何か大事な用があるみたいだな? 分かったよ。どんな形でも会議に出るなら俺は別にかまわないさ。その代り後で必ず聞かせて貰うからな? 今日何があったのかを……」それだけ言うと二階堂は去って行った。(ふぅ……とにかく今の仕事をさっさと片付けて……後は2人が今住んでいるアパートをすぐに解約して新しく住む場所を確保してやらなければな……)そして琢磨は仕事に没頭した……。 昼休み――琢磨はコンビニで買ってきたサンドイッチを食べながらPC画面を眺めていた。その時。――コンコンドアのノックの音がした。そして琢磨が返事をする前に二階堂がレジ袋を提げて部屋に入って来た。「何だよ、琢磨。お前昼休みも仕事しているのか?」二階堂は琢磨のオフィスのソファに座るとコンビニの袋から弁当を取り出した。「……社長。昼なら自分のオフィスで食べて下さいよ。今俺は忙しいんですから」琢磨はPC画面から目を話さずに言う。「九条お前、昼休みも仕事をしているのか?」二階堂は焼肉弁当を美味しそうにほおばりながら琢磨を見た。「別に今仕事をしているわけではありませんよ。ちょっと不動産物件を見ていただけです」「何だ? お前あのタワマンを出るつもりか?」「
3人は驚愕の表情で琢磨を見つめている。琢磨は平静を装っているが、内心は焦りしかなかった。(皆驚いているな……。彼女だって凄い目で見ている。まあ無理も無いか。何しろ言い出したこの俺が一番驚いているんだからな)「お、おい……その話は本当なんだろうな? レンを俺に渡さない為に口から出まかせを言ったんじゃないよな?」「ええ。当然ですよ。出まかせでこんなこと言える人間がいると思いますか? そうですよね? 舞さん」琢磨は舞の名を呼んだ。「え? あ、は、はい!」一方の舞は咄嗟に名前を呼ばれて思わず返事をしてしまった。それがレンの父親を勘違いさせてしまったのだ。「な、何だって……お前。まさか本当にこの男と……?」レンの父親はぎらつく目で舞と琢磨を交互に睨み付けた。「ええ、分かりましたか? 近いうちに私たちは入籍し、レン君を正式に自分の子供として養子に迎えるつもりです。それに貴方は随分暴力的な男だ。そんな貴方の元に大切なレン君を渡すわけにはいきませんからね」琢磨はこの男からレンを諦めさせるにはなりふりなど構っていられないと思い、出まかせを言った。(何、この場限りの嘘だ。それに……)舞となら別に嘘から始まっても家庭を築いていいと半ば心のどこかで思っていた。自分の子供でもないのに、レンを我が子のように愛情を持って育てている姿は好ましかったし、何よりかつて自分が思いを寄せた朱莉を彷彿させたからだ。「く、くそ……っ! このままで済むと思うなよ!」場が悪いと思ったのか、レンの父親は立ち上がると逃げるように部屋を出て行き、後に残されたのは琢磨に舞、そして園長の3人だけであった。「あ、あの……九条さん……」舞が何か言いたげに琢磨を見た時。「まあ……でもとにかくあの男性がいなくなってくれて本当に良かったわ……。それに貴方は……」園長は琢磨を見た。「九条です、九条琢磨と申します」琢磨は頭を下げた。「そう、九条さんとおっしゃるのね……。まさかこんなり立派な方とお付き合いしていたなんて。でももうじき入籍されるのね? おめでとう」園長は舞に笑顔を向けた。「は、はい……」舞はひきつりながら返事をした――****「どういうつもりですか? 九条さん!」車の中で舞は琢磨を問い詰めた。「すみません……あの男からレン君を守るにはああするしかないと思ったので」